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2011年1月17日 (月)

やらされ感

ふだんあまり使う言葉ではないけれど、けっこう重要な意味を持つ言葉だと思う。「やらされ感」という言葉。

自分の場合、サラリーマンという職業をえらんで、31年もそれを続けてきた。ほんとうは芸術系の進路を希望していたけれど、いろいろな反対に会い、結果的に技術者として生活する道をえらんだ。まるで正反対なところが自分でもおかしい。でもこころにはよくないことだったと思う。

個人事業を営むならば、人の関係に悩むことはがぜん少ないけれど、会社という組織に入って集団で(チームで、あるいは課で)仕事をするとなると、自分の意に染まない決定事項なんて山ほどある。自分がまちがっていると感じていても、その方針が決まってしまうこともある。自分勝手な言い分をいちいち通していたら、みなバラバラで仕事が進まない。

自分の考えとはちがう方針でも、それに従いその報酬を得る(つまり給料をもらう)ということばかりつづく。たとえ自分が小さなグループのリーダーになったとしても、さらにその上の組織の中においては、ただの一兵卒になってしまう。部下を従えているだけだ。

こうやってこころに折り合いをつけて、なんとかかんとか暮らしていく年月が増えていくと、こころは次第に順応していく部分も出てくる。自分の本心が曖昧になり、はっきりわからなくなっていくともいえる。こうして中高年になり、定年を意識するような年代になると、自分って何だっけと思い出せなくなってくる。これはとても危険な兆候だと思う。仕事中心、というか会社中心の生活をウン十年と続けるうちに、自分イコール会社生活になる。

会社員の頃元気だったひとが、定年になっても会社との関係を保とうとして、旧部下に連絡を取ったり、会社の近くの公園でブラブラ過ごすという人の話も聞いたことがある。奥さんとか家族とはもう完全に切れているんだね。だからいろんな悲喜劇がおきる。

そうなってしまうそもそものきっかけは、若い頃に意に染まない仕事を命じられたときの「やらされ感」をはっきり自覚できたかどうかだと思う。これはやらされている状態なんだと自覚するかどうかだと思う。会社を離れる勇気がないならば、自分の考えとは反対の方針であっても、懸命にやらなければならない。しかし、それを「自分の本心だ」とは思わずに、いつか自分の考えるように仕事をしてやるんだと闘志を秘めた方がはるかにいい。やらされ感をごまかして、本心を封印してしまう生き方は、のちのちいろんな問題を引き起こす発生源になる。自分の経験からよくわかるよ。

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