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2011年1月16日 (日)

自分を否定するのはまちがい

長年、生きてきたんだなと改めて思う。昨年、還暦というヤツを迎えてしまったわけだし。
むかしは、馬齢を重ねるなんて言い方もした。馬が何年生きるのか知らないし、馬がいくら長生きしても、それは無駄な年月だと言っているわけで、とても馬に失礼なはなし。まあ自分の生きてきた年月を謙遜して言っているわけだ。

これまでの人生を振り返ると、いちばん強く感じるのは、自分を否定する考え方は(まちがいなく)まちがいだということ。人間には理性とか抽象的な考えができるので、自分の存在を否定して生きるようなヘンな状態もできてしまう。

動物だったら、こんなヘンな考え方は決してしない。たとえば、自分がサメだったとして、サメである自分は、人間や他の魚からは恐れられ、だれからも愛されていないし、顔だってコワモテしてハンサムじゃないしと、いろいろと反省して、自分の存在を否定していました、ということは絶対にない。サメだって自分の持てる能力を万全に発揮しようと精一杯生きている。そこにぜんぜん否定的な要素は入っていない。

人間だけが、(そして敢えていえば経験不足で考えが未熟な人だけが)自分を否定すると考えている。人間も動物も植物も、自分の能力をいっぱい発揮して生きているのが本当の姿だと考えているからだ。自分の能力を自分を否定するために使うなんて、自己矛盾しているし、そんな状態が本来の姿だとは到底思えないからだ。自分の存在の死を願うために生きるということはヘンだ。また、それはこころの底からの本心だとは思えない。

ただ自分の存在と、自分のやっていることは分けなければいけないと思う。やってしまったことが悪かった、あるいはその行為はあってはならないことだ、ということはある。それには反省をして修正していけばいいのだと思う。

それなのに自分の存在自体が否定されたと感じてしまうのは、明らかに認識のひずみがある。拡大解釈ともいうね。認知療法はこのような認識のひずみを一つ一つ解きほどいていくわけだけれど、これはまた大きな話題になるので、また別の機会に。自分の存在を否定するのは、まちがいってことで、今日の記事はおしまい。

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