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2011年1月22日 (土)

大切な離別感というもの

子供みたいなわがままな願望を周囲や他人に押し付ける困った大人が多いことが、カウンセラーの衛藤信之さんの著書に出てくる。


『たとえば、ご主人が一杯機嫌で、ケーキをおみやげに帰宅したときに、たまたま体調が悪くて奥さんが横になっていたとします。
奥さんはご主人に気遣って、「あなた、ごめんなさい。せっかくのケーキだけど、今日は調子が悪くて食べられそうもないの。冷蔵庫に入れておいて、明日いただくわね」と食べられない理由をていねいに説明します。

ところが、ご主人はそれが許せません。「なぜ、オレが買ってきたみやげが食えない」「おまえはとにかく喜んで食べるべきだ」と文句をつける。

それだけでなく、「おまえは家にいるだけなのに、なんで体調を悪くするんだ」などといいがかりとしかいいようのない難癖をつけて奥さんを責めはじめます。

衛藤信之著『今日は、心をみつめる日。 』p.139』


この部分を読んで、おもわずヒザを叩いてしまった。つまり自分の周囲のある人物(Aさんとしておこう)を思い出したのだ。Aさんのことを言っているのかと思うほどだった。

決してAさんは悪い人ではない。むしろある人には親切でありいろいろと人のことを心配もし可愛がるほうだ。だがこの人は好かれていない。むしろ周囲のだれからも敬遠されているといっていい。自分流の親切の押し付けが、なんとも堪らないのだ。けっきょく人を束縛し自分の子分にしてしまうところまでいく。子供時代なら可愛げがあるが、中高年になろうというような人にまで同じなのだ。

相手にされないために、相手をしてくれる人をいつも探している。そして誰かが捕まっているのを見ると、なにやらホッとする。「やれやれ、あちらの方に行ってくれた」と胸をなでおろすような人物なのだ。

衛藤さんの本によると、このような人は心理学的には「健全な離別感が形成されていない」というそうだ。離別感とは、「相手は自分ではない」ことをきちんと自覚し、互いに一個の独立した人格を認め、尊重しあうことだと。さらに、自分がハッとしたのは、次の言葉。


『ではその健全な離別感を阻害する要因は何でしょうか。それは相手に過剰なまでに見返りを期待したり、相手に度を過ぎた所有欲を抱くことです。「与える」とは反対の、「求めすぎる心」です。 

同書 P.141』


相手を可愛がっているようでいて、実はそうではないところが錯綜している。可愛がっているのでなく、自分を受け入れる相手を求めているだけだということだ。健全で対等な友人関係がつくれない。相手はいつも逃げていくので、最後には寂しい思いに陥る。幸せなゆったりとした人間関係とは無縁になる。

もっと言えば、自己愛の範疇から出ていないということなのだろう。相手に対して、自分を愛し自分をより所にして欲しいと願うということは、自分を思い切り可愛がり愛して欲しいといっているのと同様だ。いわゆる愛の渇望。さぞかし苦しいことだと思う。


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昨年のイングリッシュローズの開花


 

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