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2011年5月

2011年5月31日 (火)

定年、そして妻の自立

なんだか重たい表題ですが、これは自分のこと(悩み)ではありません。
ごく身近で聞いたいくつかの夫婦の話です。

ひとつ目。
そのご夫婦の娘さんから伺った話です。
夫が定年となった。しかし長年の慣習によるものか、夫による妻の支配が止まないということなのです。掃除、洗濯、家事全般にわたり口を出し、すこしでも指示に沿わない行動をしようものなら、ののしり罵倒するのだそうです。身体的に暴力をふるっているのかどうかは不明ですが、ことばによる暴力の状況は続いているとのことです。たぶんカウンセリングなどを受ければ、診断上はDVのひとつになりうる状況だと思われます。長年の上記のような関係性から、妻は専制的な夫に対して、反抗したり口答えをしたりする気持ちを表現せず心のうちに秘めているということのようです。夫が就寝してからやっと自分の時間を持つことができ、キッチンドリンカーになりつつあり酒量も増えているとのことです。

もうひとつのご夫婦。
夫はやはり同じように専制的な態度で妻に接してきたようですが、定年が近づくとその奥さんは、明確に宣言されたそうです。
これまで自分はあなたに(夫に)仕えてきた。これからは自分の人生を自分の思うように好きにさせてもらいますので、よろしく・・・という内容だそうです。
なぜこのことを知っているかというと、この旦那さんと自分は友人で、あるとき友人のボヤキを聞かされたからです。最近ね、家内がまったくこちらの言うことを聞かないんだ・・・

そんな奥さんが第2の人生として選んだことは、まずケーキ教室に通い人に教えられるほど腕を上げ、コーヒーの淹れ方を勉強し資格を取り、さらに安い物件を探してきて喫茶店まで開いてしまったのです。洒落た喫茶店ですが、内装関係はすべて自前で行い、その頃には夫をこき使って壁塗りとかカウンターつくりなど力仕事をやらせていました。いまでは旦那さんは、店主である奥さんのお手伝いという形で働いていらっしゃいます。

この2組の夫婦の話から感じたのは、サラリーマンの旦那が定年になったら、奥さんによる自立宣言がいかに重要かということです。妻の意識改革が必要なんだなということです。仕事、仕事で30年も40年も、夫は魂を会社に預けてきたのです。そんな関係を定年後も続けていく必要はないのです。いい夫婦関係を続けるには、定年後は対等に仲良く暮らしていくしかないのですね。DVなんてとんでもないことです。

2011年5月26日 (木)

負のリレー

西澤哲さんの『子ども虐待』を読み進めると、つらい思い出を過去から掘り起こすことが多くて、心が痛むばかりです。なんでこんな作業をしなければならないのかと正直思ってしまいます。
本に付箋紙(ポストイット)をつける習慣があるのですが、すでに西澤さんの本は付箋紙が林立して、ジャングルのようです。
このなかで注目していることばがいくつか出てきました。

『その考え方で言えば、身体的虐待は、子どもを殴ってでも言うことをきかせることによって、「自分は親として有能である」という「確信」を得る行為である。子どもに暴力をふるう親の中には、「言っても聞かないならば、叩いてでも言うことを聞かせるのが親の務めだ。子どものために叩いているのだ」と主張する人がいるが、実は「子どものため」ではなく、「親のため」に叩いていると言える。子どもが言うことを聞かないことで困るのは親である。子どもが言うことを聞かない事態に直面して親は不安になったり、親としての自分の能力(有能さ)に疑問を抱いてしまうのである。』

p.33

虐待傾向のある親は、その成育暦などのために、自尊感情や自己評価の低い人が多い、ということばが続きます。

これって自分の父親のことを言っているのかと思うくらい当てはまっています。父親はコンプレックスの塊だったと思われます。学歴がないこと、そのために人生で損ばかりしてきたこと(学歴のせいにしている)、大勢の兄弟の中で3番目はいちばん損な立場だとか、よくこぼしていました。長男は跡継ぎとして大事にされる。末っ子はまた幼いので可愛がられる。真ん中は損だという理屈です。これを自分の家族、子どもに言ってどうするのか・・・

自分の無能感に向き合うことや、無能なことをさらけ出されてしまう事態を極端に恐れていたのだと思います。社会の中では自分の劣等な立場をどうすることも出来ず、その感情に向き合わなくてすむように、子どもへの暴力や虐待に向かうパターンです。子どもは弱く、自分の力で圧倒できますから。

そうやって暴力の中であるいはネグレクトの中で、子どもは生き延びようとします。この体罰は、自分の教育のために行っているのだとか正当化します。あるいは心理的虐待のばあいは、あまりにもつらいのでそれを心の奥へ押し込めてしまいます。大人になるとその教育環境のことは、自分で思い出せなくなるのですね。正当化されてしまうか、闇の奥に追いやられてしまうからです。

しかしそれらは忘れ去られるわけではないと、西澤さんのことばは続いています。自分が親の立場になったときに、自分が受けた同じような(暴力的な)しつけによる教育を繰り返したり、自分の心に受けた満ち足りない思いを、子どもを利用して満たそうとしたりするのだそうです。専門用語では、これを子どもの乱用(abuse)と呼ぶそうです。つまり親の要求や欲求のために子どもを利用(乱用)するということです。本来ならば、子どもの要求や欲求を満たしてあげるのが庇護者の親の立場です。

2011年5月22日 (日)

なかなか参考になる本が入手できず

児童虐待の実情や、どんな心理状態が起きているのかなど調べようと思いました。ところが近隣の書店を3店舗まわっても、ほとんどこの手の本がないことがわかりました。

考えてみると、この手の本は、どんな人たちが読むのだろうと素朴な疑問がわきました。自分がもし出版社の人間だったら、そのような読者を想定するだろうか?親が読むだろうか?いやいや虐待を繰り返している親が読むとは考えにくいです。むろんその子どもたちが買い求めるはずがない。・・・と考えていくと、いじめや教育問題、虐待の問題に高い関心を持つ非当事者の人たちがほとんどのはずです。となればかなり数が限定されてしまい、はじめから売れる本とは思えませんね。

たったひとつだけ入手できたのは、西澤哲さんの著された「子ども虐待  ~なぜ親が子を? 傷ついた心をどう癒すのか?~」という講談社現代新書の一冊。読み進めながら、付箋だらけの本になりつつありますが、とても示唆に富んでいていい本だなという印象を受けています。

あとはAmazonで検索して、過去に出版された関連した書籍を5冊注文して、到着を待っているところです。

西澤さんの書籍で、言葉の由来が紹介されていました。
虐待の「虐」という文字は、「虎」という文字の兄弟分だそうです。虎の字の中には、爪という字から変化した足のような形がありますが、これはもともと虎が爪を垂れて収めていることを意味するそうです。それに対して虐のほうはカタカナのヨが左右反転したような形がありますが、まさに虎が爪を出して襲い掛かろうとしていることを意味しているそうです。
非常に激しい文字です。

●西澤哲『子ども虐待 (講談社現代新書)』より (Amazonリンクしてます)

2011年5月20日 (金)

NHK番組を見て、じつは心が揺れました

前回の記事で紹介したNHK番組のなかで、柳美里さんがカウンセリングを受ける場面での「ひとこと」がとても気がかりでした。というより(この際、正直に言いましょう)自分は衝撃を受けて動揺しました。

そのひとこととは、カウンセラーに導かれるまま、柳美里さんが自分の子ども時代を振り返った会話の中で出てきたものでした。「自分も虐待を受けていたといえるのでしょうか?」と恐る恐るカウンセラーに聞いたのです。自分が息子に虐待をしていることは、自覚しているのですが、しかし自分が過去に虐待を受けたという事実は認識できていないということです。カウンセラーの先生の応えは、静かに「そうです」。

なぜ衝撃を受けてしまったのかというと、じつはこの私も虐待を受けていたかもしれないという思いに襲われました。これまで幼い頃から両親との確執に悩み、ほとんど親子の縁切りにちかい疎遠状態できた自分です。そんな親子関係が欠落したままの姿を知っている家内は(一緒に番組を見ていたわけですが)、すぐ言いました。アナタの場合も虐待だったわけだよね、と。なんと自分の場合も、心の深いところにその事実を封印し、押し沈めてしまい、記憶や自覚すらできていないことを実感したのです。

自分で自分の過去を総括できていない!それはとても割り切れない気分にさせるものでした。それと同時に、これまで不思議だなと感じていたいろいろなことがらが、ある意味で子ども時代の虐待に関係しているかもしれないと気づき始めたのです。それと同時に、その頃を振り返る行為が、とても嫌な気分、できたら回避したい気分に陥れることがわかりました。心が揺れるのですね。

ともかく決着がついていないとしたら、それを探っていって、出来ることならばある形で治める必要があると感じます。そんなわけで、児童虐待の本を買い求め、読み始めました。読むたびに嫌な気分に襲われます。でも知ってしまった以上、留まることは出来ない気がします。Amazonであと5冊ほど取り寄せ中です。還暦をすぎたというのに、いまさら自分の心の旅路を始めることになるとはと驚きです。

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2011年5月15日 (日)

児童虐待を扱ったTV番組で

つい先ほどのNHKの番組で、虐待カウンセリングを扱った番組を観ました。虐待カウンセリングとは、どうしても子どもに虐待をしてしまう親へのカウンセリングのことです。作家の柳美里さんとご子息との関係、それから柳美里さんのご両親がどのような環境で子ども時代を送ったのか、そこまでさかのぼって追いかけた内容です。

番組の詳細はここでは述べませんが、ひとつハッキリわかったこと(学んだこと)があります。それは、子ども時代に親から虐待を受けて、その傷が癒されないまま大人になった人は、大人になっても自分が虐待を受けたのだという認識がないということです。これはとても重要なポイントです。じっさい番組の中で、カウンセリングを受けている柳美里さんが、自分自身の過去を振り返り、これは親からの虐待だったのでしょうか、とカウンセラーに問いかけるシーンが出ていました。

虐待を受けた認識がないということは、その仕打ちは当然であり、自分に何か落ち度なり悪いところがあったのだと決着をつけているということでもあります。つまり子ども時代に形成された親との関係が、何十年も経過してもそのまま固定化しているということです。

いちどリセットするなり、やり直すことで、親子関係を客観的に見つめなおすチャンスがいくらでもあっただろうにと思うのですが、虐待を受けた子供というのは、その心を深く封印してしまい、おそらく一生その封印を解くことはないということです。そのため親に対する自然な親愛感情とかを抱くことなく成人してしまう。痛ましいことです。そしてそれが今度は自分の子どもに対する態度に反映してしまうのです。


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