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2012年2月

2012年2月23日 (木)

平均値と異常値

先日、波頭亮・茂木健一郎著『突き抜ける人材』(PHPビジネス新書)を読みました。20年くらい足踏み状態にある「閉塞ニッポン」に必要なのは、既存の権威や力をものともせずに突き抜けていく人材である、という趣旨の内容ですが、示唆に富む話が満載でした。

その中で、「高機能自閉症の人を認められるアメリカ」という話が印象深かったです。
すばらしい業績を残した著名人のなかに自閉症の範疇に入っているのではないかと疑われている人々がいます。モーツァルトはサバン症候群ではないかといわれていますし、アインシュタインやニュートンも自閉症ではないかとされています。

そこで、日本ではどうなのか。
このような人たちは遺伝的な要因による部分が高いので、民族によらず一定の確率で出現すると考えられます。しかし、日本の歴史の中ですぐれた業績を残した「変わり者」というのはほとんど聞きません。茂木さんも書かれていますが、「こういう子がいると困るから、なるべく世の中から隠しておこう」ということになるのではと思います。恥の文化が影響していると言われています。

つまり日本の社会は、平均値から外れた異常値を示すものを、受け入れません。というより排除してきたのではないかと考えられます。天才というのはたいてい異常値に属する人種ですが、日本ではまともに扱われることが稀であると思われます。あいつはヘンだとか、執着の強いヤツというふうに、異端にしてしまうのです。そして差別する。

でもよく考えれば、平均値と異常値との間に差はありません。母集団の平均値に近いほど優れているとか、外れていると劣っているということはないはずです。どのような集団を持ってきても、辺境に位置する人間はいますが、そこに価値の優劣はありません。それぞれが等しく人間なのです。

日本の教育の限界を感じるのは、こういう部分です。富国強兵策から始まったと思われますが、短期間に均質の教育を受けた人間を急造するため、集団での行動や規律を守れるかに関して重視してきました。それは集団を扱う上でとても扱いやすいという理由が関係しています。そして平均的人間が優遇されてきた経緯があります。

平均的に各科目の点数のよい人間が、よい(?)大学に行き、よい(?)役人になり、また平均的発想で、社会を動かそうとする。そんなことを繰り返して今の日本が形成されてきたように思います。でももう社会を覆う閉塞感はどうしようもありません。天才よ、出て来いといいたいですね。社会を変えてきたのは、辺境にいる異常値を示す人であるというのは定説です。

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