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2012年7月24日 (火)

強者と弱者

いじめ事件とか虐待による事故のニュースを聞くたび、
加害者側の心理に思いを馳せることが多くなりました。

強い立場にいる人間たちが、いじめ被害を受ける生徒とか、
虐待の対象になっている幼児に向き合うときの心理です。

事件がおおやけになってから追求され、
躾けようと思ったとか、遊びをしているだけだという口実を、
加害者側が口にします。

被害者が死をもって終了するこの一連の仕打ちが、
しつけや遊びの「度を越えている」のは明らかです。

ではなぜ、そういう言葉しか浮かばないのか、
それが不思議に思うのです。

度を越える仕打ちをしながら、その意識がないということが、
異常だと感じるわけです。

むかしドストエフスキーの『罪と罰』を愛読しました。
金貸しの老婆を、主人公のラスコーリニコフが斧で殴打して
殺してしまいます。
そのときの描写が、妙に生々しくて今でも覚えているのです。

殺人場面の最初の一撃は、主人公のためらいがあるのでしょうか、
力なく振り下ろしたという描写がありました。

確信を持って振り下ろすというより、振り上げた斧を重力に任せて
落とすような感じではと思います。

しかし、2回目以降の殴打では、はっきりとした殺意というのか
確信を持って力を込めて斧を振り下ろします。

1回目と2回目の殴打の間に、加害者のこころに何か変化がおきたことが
表現されていたと記憶しています。

それは何なのか?

行動を実行に移してしまうことで、
ますます行動を正当化する方向へこころが動いていく、
そういう変化があるのではと思います。

斧を一度振り下ろしてしまうことで、何かが吹っ切れてしまう。
おそらくためらいとか、引き返せないことを今実行している意識などでしょう。
さらにいえば、恐怖の感情や弱い自分への怒りなども
混じっていると推察します。

こうして一度始めてしまった暴力やいじめは、歯止めがなくなります。
それをすることで、強者の立場になっている
自分への共感のようなものも生まれているように思います。

この最初の一撃のときに、踏みとどまらせる防止策がなければならない
と思います。2回目をやらせてはいけないということです。
それは教育かもしれませんし、環境というものかもしれません。
そこに焦点をあわせるべきだと感じているわけです。



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コメント

正当化・・・納得ですsign03

お返事遅くなりました。

人間は、自分の行動を正当化し、
『自分が常に正しいことをしている』と、
思い込みたい傾向にあります。
行動が、思いを支配するのです。
暴力に振るうような異常時には、
これは大変困った方向に人を追いやります。
歯止めがなくなるのです。
恐いことです。

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