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2012年8月

2012年8月29日 (水)

怒りに対する一考察

怒りの前段階には、
「自己の存在が脅かされる」というステップが関係している
というお話をしました。

俺をバカにしやがって・・・とか、
おちょくっているのか、なめている!・・・とか、
私のことなんかなんとも思っていない・・・とか、
まあそんな感じの状態です。
(すみません、普段こんな言葉は使わないのです)

怒りの前には、相手から自己存在が蔑ろにされたという
状態が関係しています。
このごろニュースをにぎわせている国家間の領土問題も、
たぶんにこのような感情がベースになって、
冷静ではいられなくなります。

生命体は、自分の存在が否定されたり、
抹殺されたりすることに対しては、
全力で反撃する存在といっていいでしょう。
そんなDNAがしっかりと組み込まれているので、
これまで生き延びてきたわけです。

ところで日常出くわす人間関係のもつれとか、
しこり、わだかまりにも、この怒りの元となる
存在の否定や存在への脅威といったパターンが関係します。

しかしよく考えてみると、そのほとんどが生命の危機に
触れるようなものかというと、そうではありません。
「ただ」、DNAが騒いでしまうのです。
原始的な脳の反応に戻ってしまうともいえます。

バカにされたり、おちょくられたときに、
これで自分の存在が抹殺されてしまうのか?
と振り返るのはとても有効です。
不愉快極まりないとしても、
それで死んでしまうのか?
と確認してみるのです。

あるいは、こちらの方法はいかがでしょうか。
自分の存在は大丈夫。
自分は脅かされることはない。
大丈夫!という呪文も有効でしょう。

こうしてみると、宗教に入信して、
自己存在がしっかりと守られているとか、
自分のことを大いなる存在がしっかりと見守っていると
信じられるということは、ものすごい力になることがわかります。

でもキーワードは、自分は大丈夫という言葉です。


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2012年8月22日 (水)

たいていは、怒りが関係している

人間関係のごたごたで悩んでしまうときは、
たいてい、そこには「怒り」が介在していると思います。

自分にとって不愉快な隣人とか、思うようにならない家族などとの
確執は、「自分が怒っている」という状態が含まれるのです。

子どもの頃から怒りっぽいと言われてきた自分は、
この怒りという感情について、たくさん考えたつもりでしたが、
いまだこの年になっても、怒りを克服できていない未熟な自分を感じています。

怒りの発生には、「自分の存在が脅かされる」という
側面が関係しています。自分の存在が危なくなると、
危なくする存在に対して怒りの感情が芽生えます。

うわさ話で、自分の悪口がいわれているらしい。
それを言いふらしているのは、友人のAらしいとわかると、
とたんに、Aに対して怒りの感情が生まれます。

でもこの反応は、カマキリをつつくと、カマを上げて
反撃体勢に入るのと、どこか似ています。
また、スズメバチの巣を脅かすと、いっせいに攻撃を受け、
とても危険な目にあいます。

昆虫などは、おそらく自己の存在が脅かされると、
怒りをもって反撃するプログラムが組まれています。

さて、ところで人間の場合は、こんな反応しか選択し得ないのかというと、
それはちがうと思います。
不愉快な事象や、自己存在を脅かす事態に対して、
「怒り」をもって対応するのとはちがう道があると考えています。

それについては、また次の機会に。



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2012年8月 7日 (火)

虐待による傷あとや損失は、生涯にわたる

自分が虐待をされていたらしいと気が付いたことから、
人生の場面で、いろいろと思い当たるフシが出てきました。
虐待の影響、傷あと、自分では不可解な思いや気持ち、
出来事へのおかしな対応などに気づくのです。

 注)虐待されて育っても、それを意識できないことが多いです。
   かくいう自分も、アラ還になってはっきりと自覚したしだいです。

さまざまなシチュエーションで、
なぜそう悲しげに自分の感情が動くのか、
なぜそういう風にネガティブに考えるのか、
なぜそのような行動をとったのか、
不可解ながら、長いことその理由は謎でありました。

すこし客観的に人生を見れるようになったいまなので、
白状してしまいますが、
20歳の頃には、自分には価値はなく、
生きていても仕方ないと真剣に思っていました。
思春期になり親に反発して、家出をしたり、
気持ちが荒れた時代が続きました。

そこにはなぜそう思うのかの根拠がありませんでした。
ただ気持ちの根本の底の底に、自己否定という魔物が住んでいて、
ことあるごとに、ささやくのです。

『おまえには、そんなことをする価値がない』
『そんなことをしても無駄だ』
『自滅する方を選べ!』

いま思えば、これは親から送られ続けた、
自己否定のメッセージだったということです。

その後、人生の大事な場面で、
悪い方を選ぶ、自分が損になる方向へ行ってしまう。
その根底には、この感情がいつも作用していたと思います。
成功しそうになると、失敗する方向へいってしまう、
上手くいきそうになると、ぶち壊す方向へ行く。
そんなことをやってきた気がします。

しかし体験者として、キッパリと宣言します。
そのメッセージは、まじめに取り合う根拠はありません。
ただ親が送り続けたメッセージが、
こころの奥底に沈殿していて、
強固に住み着いてしまっているだけです。

その当時、親には親の事情があり(そんなことは理解したくもありませんが)、
親の勝手な事情で、こちらにひどいことをしただけです。
それ以外のものはありません。
ひどいことをされても仕方ない、価値のない自分だと
思う必要はありません。

親が送ったメッセージを否定しなくてはいけません。
親の送りつけたメッセージを、実現してはならないのです。
自分とは関係のないことと切り離すべきです。
あなたはあなたであり、
親の呪縛に従って生きる必要はないのです。



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