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2012年11月 4日 (日)

意識に関するむつかしい問題

意識の問題についての続きです。

哲学の古い論点だった主観と客体というところと少し関係します。
そこにリンゴがあり、それを見ている自分がいるとします。
リンゴという客体を向こう側に置いた自分が主観ということになります。
対象と自分とは向かい合っているという関係になります。

ここでややこしいのは、自分のことを反省しているときには、
自分のおこなった行為とか発した言葉が客体になります。
しかし、さらに、自分全体を考えるということもできます。
自分はダメなヤツと考えているときは、
自分の丸ごとの存在が、客体になります。

何をやってもダメなヤツと、自分を卑下したとします。
そのとき、そんなことを思い嘆いているこちら側の主観は誰なのか?
ダメな自分を見つめている自分は誰なのか?
という問題が生じます。

ダメな自分を見ている自分は、ダメではないのではなかろうか。
ダメなヤツと自分を見ている人は、少し賢い人のはず。
だって少しは賢くないと、ダメだと自分を断罪できないはず。
ダメなヤツと言っている本人が本当にダメならば、
ダメなヤツという言明自体がまちがっているかもしれません。

ところで、こんなややこしい問題は本題ではないし、
あまり重要ではありません。
重要なことは、幸せとか生きがいとかのことがらは
向こう側の対象物、客体にはなじまないということです。
いくら幸せというものを定義して、向こう側のものとして規定して、
それを追求して手に入れても、それは幸福感を与えてくれません。
お金があること、地位があること、皆から敬服されていること
などといろいろと条件を取り上げても、
それらが幸福というものにはつながらないということです。

言い換えれば、けっして対象物にはならない物事が
世の中にはあるということです。
幸福とは、こちら側にあります。
つまり主観側の状態にあります。
こちらの事柄こそ追求すべき内容なのです。

大金持ちの男より、浜辺で寝そべって
波音を聞いている貧乏人の方がはるかに幸せに満ちている
というようなことがあります。
主観の状態のひとつなのですから。
だからといって、浜辺に寝そべっていれば、
幸福感に満たされるかというと、
それは正しくありません。



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