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2012年12月

2012年12月29日 (土)

なぜ自分が?

なにか、つらい経験や、望んでいないことがらに見舞われるとき、
つい、「なんで自分がこんな目にあわなければならないのだ!」と、
不平を口にしたり、誰かを責めたりします。
これは、もう遺伝子として組み込まれたような本能的な反応だと思います。

でもなかには、冷静な人がいます。
その境遇を避けることは出来ないのは、はっきりしているのだから、
どうしたら最悪の状況から、最善の道を探すか、
そこにむけて努力しようと言う人がいます。

すばらしい考え方です。
なかなか凡人のわれわれは、そういう姿勢をとることが出来ません。
でも、冷静になれば、これが最短の道なんですね。
そのことを心に刻みたいと思います。

なぜ自分にこんな災難が降りかかったのか?
それを考えることが解決に向かわせる手段なのかというと、
はっきりいって、逃避にしか過ぎません。

誰が悪かったのか?
それを追求して、問題が一件落着にはならないのです。
自分が直面する困難に立ち向かうことが
求められているときに、
「オマエが悪かったんだ!」といって、
一時気持ちが晴れたような、自分に責任がないかのような
そんな思いになるかもしれませんが、それは一時。

やがて、困難に立ち向かうしかないことが、
ヒシヒシとわかってきます。
いつも考えなければいけないのは、
この先どうしたらいいのか、
どんな方法があるのか、
それだけなんですね。


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2012年12月15日 (土)

永遠にわからない言葉

昔から、どうも理解しえない言葉というものがあります。
その最たるものが「自分探し」という言葉。
自分探しの旅、というふうに使うこともあります。

アラカンにもなっても、いまだに使う友人もいます。
でもそれって格好いいのでしょうか。どんなものでしょう?
それを自分は理解しにくいし、したいとも思いません。

自分のことがわからないので、
ほんとうの自分を見つける旅という意味でしょうか?
どこか他に出かければ、自分というものに出会える
という意味でしょうか。

突然ですが、日本人はこの手の「わかったようでわからない言葉」が
大好きです。わからないために、そこに余韻があるのだと思い込みます。
その余韻のなかに韜晦してしまって、何がなんだかわからない。
言葉の含みというものをとても大切にする。

欧米人に、「自分探し」を説明しようとしても、
決して理解されることはないでしょう。
自分とは、ここにいるアナタでしょ?
それ以外に自己があるわけ?と怪訝な顔をされるでしょう。
幽体離脱しているわけ?と聞かれるかも知れません。

意図して、わからなくしているケースも見られます。
都合が悪くなると、言葉を言い換える。

たとえが適切かどうかわかりませんが、
メルトダウンを炉心損傷と言ってみる。
なにか軽い感じになってそれほど心配ないと思えます。
いまだに日本人は「敗戦」記念日とは言おうとしません。

いま日本人の心性における、言葉の役割に関心を持っています。
結論から言えば、日本人は言葉にあやつられやすい国民だと
思っています。
なので、余計なことをたくさん心配しているのかもしれません。


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