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2013年1月

2013年1月29日 (火)

連鎖を断つ

虐待問題で指摘されているのは、虐待の連鎖です。
つまり虐待を受けて育ったひとは、自らの子どもに虐待しやすくなる、
という事実です。

この世から虐待をなくしたい、
子どもたちのつらい体験をなくしたいと願っています。
そのためには、この連鎖の問題に向き合う必要があります。

なぜ虐待の連鎖という現象が起きやすいのか、
それをここで明快に示すことはできません。
でも自分の父親が生前言っていたことのなかに
ヒントがあるようにも思います。

父親は5人兄弟でその3番目でした。
兄弟の中で父はいちばんデキが悪かったらしい。
確かに他の兄弟は校長先生を務めたり、
会社役員をしたりして、世間的には立派なのです。
小さい頃からあまりデキのよくなかった父は、
祖母から厳しいしつけを受けたようです。
(それが虐待というほどのひどいものであったかはいまは不明です)

自分が小さい頃、父の愚痴を聞くことがありました。
自分が兄弟の中でいちばん可愛がられなかったと。
要するにひがんでいる様な言動です。
つまり愛情を受けてこなかったという思いが
渦巻いていたのではないか、と思われます。

愛情に飢えた状態で育った(と思っている)人間が、
いざ自分の子どもに向き合う場面に直面するとどうなるのでしょうか?
積もった恨みの感情が噴出してくるのでしょうか?
感情の投射作用で、今度は自分の子どもが怒りの対象に
すり替わってしまうのでしょうか?

あるいは自分の受けた仕打ち(虐待)の記憶が蘇ってきて、
感情のフラッシュバックにより見境なくひどいことをしてしまうのでしょうか?

あるいは自分の受けた経験から「学び」をしてしまい、
子どもへの対応の方法のひとつとして、
「ひどいことをする」ことがレパートリー(選択肢)になってしまうのか?

いずれもありそうです。
でも、まだ十分理解できていないところもあります。
これから根強く解明の努力をしていきたい問題です。


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2013年1月22日 (火)

終着駅に着いた

今月の3日の朝に、父が急死しました。
正月の葬儀というのはなかなか大変で、
焼き場すら正月が明けないと利用できないのです。
長男のため、いちおう喪主ということになりましたが、
離れて暮らす自分には、いろいろと実家の事情が
つかめないことも多々あり、葬儀が終わり、
かなり疲れましたね。

確執続きの両親と、昨年末から今年の正月にかけて
急にお別れをしたことになります。
お力を落とさないようにと、お悔やみの言葉を
たくさんいただいたものの、不謹慎といわれそうですが、
そういう気分はまったくありませんでした。

60年余りのもやもやした割り切れない気持ちも、
もう終着駅に着いたのかもしれないと感じていました。
別の言い方をすれば、肩の荷を降ろしていいのかもしれない
という気分です。

そういう内面の自分の姿は、親不孝ものの極みでしょう。
子ども時代から親の愛情を感じたことがなかった自分には、
親を慕う気持ちは、ほぼ皆無です。
たしかに育ててもらった養育の恩義は事実としてあります。
でもそこに感情は伴わなっていないことを白状しなければなりません。

愛情を受けてこなかった自分が、
はたして家族を持って家族を愛していけるのか、
そんな資格があるんだろうか、
という特殊な悩みをずっと抱えて生きてきた自分です。

でも、もう生前における関係は終了です。
通夜際の会食で、おなじく苦しめられてきた実の妹と、
腹を割って話し込みました。
たぶん50年ぶりくらいでしょう。
周囲のものも妹の顔がパッと明るくなって驚いたといっておりましたが、
これから妹は元気になっていくと予感しています。

この記事を書くことに若干のためらいがありました。
家族にはとうてい理解できないことだと思います。
しかし、そういう親子関係が世の中に事実としてあったのです。


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